がんばってみよう (^^)
お久しぶりです。
すごいお休みしてました。
今からまた、お題目あげてできるかやってみます。
あ、うさぎさん、コメントありがとうございました!
変装に笑いました。でも、その心がすごいなあと思いました!!
名字の言
わずか10日間で日本一の弘教が実った、1955年(昭和30年)の「札幌・夏の陣」。陣頭指揮を執っていた池田名誉会長は、友に電報を送った。「悔いなき闘争を祈るのみ 池田」▼送り先は主に札幌市内。毎日のように顔を合わせる人も多くいた。〝なぜ、わざわざ電報を?〟と周囲の幹部は不思議がったが、電報を受け取った友の感激は想像以上だった。これを機に、札幌の友は大拡大を成し遂げた▼当時を振り返り、名誉会長は戸田第2代会長の言葉を通して語っている。――あの人のために何をしてあげたらいいかと、常に心を砕きに砕く。ゆえに、誰もが気づかないところにも気づく、と。斬新な激励は、同志に尽くす深い祈りから生まれたものだった▼「夏の陣」の終盤、ある友が「これ以上、弘教はできません」と言った。名誉会長は労をねぎらいつつ、「弘教は、相手への慈悲なのだから、〝もうできない〟ということは、ありえません。すべての人を幸福にしていこうではありませんか」と励ました▼幸福の連帯を広げる前進に、行き詰まりはない。「あの人のため」と祈りに祈るなかに、知恵と慈悲は無限に湧く。いよいよ上半期の総仕上げ。われらの「夏の陣」を「悔いなき戦い」で飾りたい。(鉄)
すごいお休みしてました。
今からまた、お題目あげてできるかやってみます。
あ、うさぎさん、コメントありがとうございました!
変装に笑いました。でも、その心がすごいなあと思いました!!
名字の言
わずか10日間で日本一の弘教が実った、1955年(昭和30年)の「札幌・夏の陣」。陣頭指揮を執っていた池田名誉会長は、友に電報を送った。「悔いなき闘争を祈るのみ 池田」▼送り先は主に札幌市内。毎日のように顔を合わせる人も多くいた。〝なぜ、わざわざ電報を?〟と周囲の幹部は不思議がったが、電報を受け取った友の感激は想像以上だった。これを機に、札幌の友は大拡大を成し遂げた▼当時を振り返り、名誉会長は戸田第2代会長の言葉を通して語っている。――あの人のために何をしてあげたらいいかと、常に心を砕きに砕く。ゆえに、誰もが気づかないところにも気づく、と。斬新な激励は、同志に尽くす深い祈りから生まれたものだった▼「夏の陣」の終盤、ある友が「これ以上、弘教はできません」と言った。名誉会長は労をねぎらいつつ、「弘教は、相手への慈悲なのだから、〝もうできない〟ということは、ありえません。すべての人を幸福にしていこうではありませんか」と励ました▼幸福の連帯を広げる前進に、行き詰まりはない。「あの人のため」と祈りに祈るなかに、知恵と慈悲は無限に湧く。いよいよ上半期の総仕上げ。われらの「夏の陣」を「悔いなき戦い」で飾りたい。(鉄)
この記事へのコメント
なんだかずっととってもブログが書けない感じでさぼっていました。
それなのにずっときてもらっていたようで、とっても嬉しいです。
どうもありがとうございます (^^)
今日とりあえず、ちょっとがんばってみました。
また、くいが残らないようにがんばります。
励ましどうもありがとうございます!